無名塾とは

無名塾の原点は、仲代達矢と宮崎恭子の自宅にあったプライベートの小さな稽古場です。1975年、多忙な仲代が不在の稽古場に、夫妻を慕う役者の卵や演劇を志す若者たちが芝居談義に集うようになり、そんな彼らに宮崎が少しずつ稽古をつけ、仲代も時折顔を覗かせ、無名塾は自然発生的に始まりました。

「素敵な次代の役者を育てたい」と、77年、無名塾は一般公募を開始。塾生の育成、さらに、宮崎が脚本・演出を手掛け、無名塾公演がスタートしました。

二人で教える私塾のため、塾生はごく少人数に。マンツーマンで3年間の修業。礼儀作法から歩き方、発声など、役者としての基礎を叩き込み、共に舞台を作り上げます。やがて無名塾は私塾という枠を超え、全国から公演を待たれる演劇集団に成長し、映画・テレビなどで活躍する俳優も数多く巣立っていきました。

無名という言葉には、どんな役者でも「無名に戻ったつもりで」修業に帰ってこられる場所という意味も込められています。設立の頃から、仲代と宮崎は「ここを出て自由に羽ばたいていった後、壁にぶつかった時に、原点に帰れる場所があるといい」と考え、無名塾は回帰修業の場でもあるとしています。キャリアを積んだ者と若い者とが切磋琢磨できる場所。舞台に立てば、塾長である仲代も新入塾生も同じ役者という姿勢がそこにはあります。

設立から40年を超えても、役者は「生涯修業」という無名塾の原点は揺るぎません。

略年譜

1975
仲代夫妻の自宅の離れに若者が集まり、無名塾が生まれる。
1977
第一回公募開始。以降、役所広司、若村麻由美らを輩出してゆく。
1978
無名塾公演スタート。以降、隆巴演出により「マクベス」「シラノ・ド・ベルジュラック」「令嬢ジュリー」など年一本のペースで続ける。
1985
10周年記念公演「どん底」
1993
「リチャード三世」で紀伊國屋演劇賞受賞。年間100ステージ以上の全国公演が通例となる。同時に秘演と名付けた小公演も続けた。
1994
仲代劇堂(新稽古場)が完成。
1995
石川県に能登演劇堂完成。仲代、初代名誉館長に。
1996
宮崎恭子(隆巴)死去。
1997
「いのちぼうにふろう物語」能登ロングラン公演。
2005
「ドライビング・ミス・デイジー」では劇団民芸と初の合同公演。
2013
仲代念願の作品「授業」を上演。
2014
一人芝居「バリモア」上演。
2015
仲代達矢 文化勲章受章。

無名塾
仲代劇堂へのアクセス

東京都世田谷区岡本1-6-2
TEL 03-3709-7506

  • 東急田園都市線「用賀駅」から 徒歩15〜20分
  • 東急田園都市線・大井町線「二子玉川駅」から
    東急コーチバス4番のりば(玉31、玉32)「やのはし」下車徒歩3分、「玉川病院」下車徒歩4分
  • 「用賀駅」「二子玉川駅」からタクシーの場合無名塾もしくはドミニコ学園の坂の上とお伝えください。

※駐車場はございません、お車でのご来場はご遠慮下さいますようお願いいたします。